| 賢一's profile走る動物のお医者さん♪PhotosBlogLists | Help |
|
|
8/16/2008 北京五輪女子10000m陸上女子1万メートル決勝(15日、国家体育場)世界選手権2連覇中のT・ディババ(エチオピア)が29分54秒66の五輪新記録で初優勝した。
女子1万メートル決勝はT・ディババが、けた違いの強さを示し、五輪で初めて30分を切る29分54秒66で初優勝した。 残り5周でアベイレゲッセ(トルコ)との一騎打ちになると、場内の大型スクリーンで前にいる相手の表情をうかがいながら走り、ラスト1周で一気にスパート。粘る相手をバックストレートで振り切り、ガッツポーズでゴールインし、「厳しいレースだったが、どんな展開でも怖くなかった」と胸を張った。 5000メートルで出場したアテネ五輪は銅メダルだったが、2005年の世界選手権で長距離2冠に輝くなどその後は大舞台で負け知らず。つぶらな瞳の23歳は、1万メートルでエチオピアから2人目の女王に輝いた。(共同) なんというレベルの高さだ。30分切りが2人もでた。期待の日本女子3人は入賞どころか10位以内にもはいれなかった。まったく歯が立たなかった。 それもそのはずケニア選手ですらメダルは取れず実力者ロシアも30分37秒で5位6位。実力者オランダのキプラガトですらかろうじて8位入賞の30分40秒27。 30分中半の記録でないと入賞もきびしいことになる。この記録を出している選手は残念ながら今期では日本人はいない。 記録 1位:ディババ(エチオピア)29分54秒66(五輪新) 2位:アベイレゲッセ(トルコ)29分56秒34(まったくの伏兵にもかかわらず30分切りとは脅威である。) 3位:フラナガン(アメリカ)30分22秒22(ドロシン以外にこんなに強い選手が出てきたのは長い低迷期は完全に消えた証である) ************************************************************************* 福士:31分01秒14(11位)、渋井:31分31秒13(17位)、赤羽:32分00秒37(20位) 6/14/2008 東北地震 昨日からの重症の入院ネコをほとんど徹夜近い状態で診ていたため
朝方眠くなり寝ようとした朝の9時過ぎになんと東北で震度5の地震で
死者や怪我が出て交通機関が麻痺しているニュースを見た。
なんということだ。本来なら山形秋田方面に夜行バスで行ってたはずだった。
いってたらおそらく次の日は帰ってこれなかったかもしれない。
結果的にねこちゃんを救ってねこちゃんに助けられたことになる。
ありがとう。。 5/26/2008 葬儀を終えて さすがに私も2日間の葬儀(お通夜、告別式)を終了してから力尽きた感じである。
自分の仕事は時を選べないためお通夜の当日も診察した。
練習はさすがに昨日は雨だったのでほとんどやらなかったが父がなくなってからというもの
練習量が減り体重は2kgくらい太ってしまった。
それに左足くるぶしの痛みは依然ある。
このままではいけない。
父は長年、箱根登山鉄道に勤務していたが、定年になってからかれこれ18年たつ。
しかし以前に勤務していた同僚や上司の方が葬儀に結構来てくれたことは驚かされた。
やはり父の人望なのか?
私の関係は誰にも話していないが地区の人たちは父の訃報を回覧板で回したため気づいたのか
小田原駅伝のチームの人たちがお通夜に参加してくれたのには驚いた。
やはり来年も走りで恩返しするしかない。
葬儀では親類が集まるのだが半分くらい30年、40年会ってない人もいて誰だかわからず
苦労した。そんなこともあったし自分が長男のため葬式でのでの挨拶もあり久々緊張した。
斎場で父が火葬されるときは家族や親類は涙を流したが自分は涙はでなかったが
お別れの挨拶で父の事を回想しているときに「もうこれで一生父とはあえないんだなあ」と
思ったときに自然に涙が出てきた。
肺癌で亡くなった父。肺癌は日本の死亡率で男性は1位、女性は2位である。
この教訓を生かしひとりでもタバコをやめてほしいと訴えるようにして私の挨拶で
閉めたのだが実際参列してくれたどの位の人が耳を傾けてくれたかはわからないが
自分として納得のいく挨拶となった。
実際私の弟も父とよくにてヘビースモーカーである。
せめて彼だけでも父の死の教訓を生かしてもらいたいものだと思ったのである。
5/23/2008 父永眠 遅ればせながら一昨日(5月21日)午前7時9分に父が小田原私立病院で永眠した。
死亡診断書には「肺がん」と記されてはいるが実際の死因は肝臓に転移した癌の影響だと自分は思う。
先週の木曜日の夕方に自分は父の状態がおかしい(どうも顔色が黄色い)と思っていたが光の加減で
とも思い誰にも言わなかったが翌朝父の顔は前日よりも更に顔が黄色かった。
「黄疸」である。肝臓が悪くなっている証拠である。
この時自分は肺から肝臓に転移した癌のことが気になっていたのでこの日に私立病院で検査入院
させようと思っていた。しかしこの日に看護師が訪問しに来る日だったのでその人の支持に任せたほうがいいと
母が言った為そうすることにした。
しかし看護師が言うには、「黄疸が出たからといって病院でなにもできないのでこのまま様子をみましょう」
との返答であった。
確かに看護師の言うとおりかもしれない。しかし血液検査や他の検査で父の状態のレベルはわかるはずだ。
それで市立病院へ連絡したが主治医が欠勤ということで翌月曜日に病院に行くことになってしまった。
この時は体温も36度と平温。しかし食欲がなくなってきていた。父も苦しくはないと言っていた。
しかし今週月曜日朝、父の黄疸が進行したのか顔は先週の金曜日の倍くらい黄色くなり、呼吸速拍、
体温も37度を超えていた。弟の嫁さんが元看護婦だったので見に来てくれて、即救急車を手配してくれた。
そこからは急速に悪化したようである。主治医はもう1週間もつかわからないと母に言ったそうだ。
月曜日入院した当日は心拍数や心電図はほぼ正常値。多少不整脈があるくらいだったが
翌日の火曜日は体温も39度まであがり呼吸も苦しそうであった。また心電図の波形も
明らかに前日見たそれと違っていた。
これはやばいとその時わかり母に言ったが取り立てて明日どうにかなるわけでもないような
感じの返事であった。しかし結果的には上記の説明の様になってしまった。
父も最期まで苦しくないと言っていたというか、言ってくれていたのはなんとも私の心が泣く。
消防署は自分の家の向いにあるため5分後にそこから救急隊員が来てくれてすぐに私立病院へと
入院してしまった。 6/24/2007 ちびっこマラソン 本来なら昨日から長野県乗鞍岳にいるはずでしたが金曜日に腎不全の重症の猫が来院し入院することになってしまったため休みは返上となった。
さらに昨日は猫の不妊手術も予約ではいり平日とかわなぬ忙しさになっていた。
しかしかんがえてみると今日は小田原走ろう会主催のちびっ子マラソンである。もう十数年続いている。おや
小田原では唯一小学生のロードレースである。私もマラソン大会出場しなかったら手伝いにいくと
言ってあったので早朝6時に早川漁場へ向かった。
すでにみんなテントを張ったり、会場設定をしていた。私もすぐに手伝いに加わる。
ちびっ子マラソンの種目は男女別で、2km(低学年)、3km(高学年)。コースは早川漁場をスタート、ゴールとする、早川周辺を走る。
参加者はいつも500人以上はいる。家族が応援するので会場はかなりの人数になった。
私の仕事は走路監察。走路で車が出入りするのを監視したり、選手が走っているときに転ばないように監視したりした。
9時にスタートして10時半には終わった。天候は曇で今にも雨が降ってきそうな天候であったが小雨がぱらつく程度で
選手には影響はでなかた。無事終了できてホッとした。
終了後、借りた道具を城山競技場まで4人で運び手際よくかたづけたがたいへんだった。 いつもは自分が選手として走っているので気づかなかったが裏方の手伝いをしてたいへんなんだと再実感。
走るときは感謝の気持ちを忘れずにいたいものである。
懇親会は残念ながらパスしてべんとうもらって帰った。入院の猫が気がかりなのと疲れたので早く横になりたい
感じがあったからだ。疲れは早く取りたいもの。
来週は北丹沢山岳耐久レース(43.6km)がある。
楽しみでもあるが自分の今年前半の力がどのくらいもどっているかチェックできるたいかいでもあるし
厚木荻野走友会の人たちの交流会もたのしみのひとつになっているのである。
1/14/2007 交通事故1月14日(日) 晴れ 気温8度
もうあと1週間で小田原駅伝(21日)というところで昼に交通事故を起こしてしまったというよりはおこされてしまったといったほうがいいであろう。
昼連絡があり南町ガストに駅伝メンバーが集まっているから来てくれと言うのだ。すぐに向かおうとした途中というか家を出てすぐに事故にあってしまった。私はマウンテンバイクにのっていたのだが家から30mしか離れていない通路で横からぶつけられたのである。
ぶつかった瞬間アスファルトにたたきつけられ自転車のフレームとアスファルトに左足がはさまれた。腰も強打したようだ。
このじこをおこした道は国道1号線に出るための道で右折禁止のため車は右しか注意しない。私が左から来ているのを見落としたのだ。
事故を起こしたおじさん(私より年配)は警察への連絡せずに帰ってしまった。警察検問でそのおじさんにももう一度現場へ戻るよう指示されたので電話した。警察へ報告しそのまま病院のほうへ行って受診した。診断書は日曜日は発行できないとのことで明日また受診する。
レントゲンでは骨盤のみの撮影であったが左骨盤(かんこつ)剥離骨折程度で今はあまり痛みはない。もうだめか。。。とあきらめかけてはいるが
痛みがなければ出場してほしいと駅伝メンバーはいう。私の住む地区、小田原市十字地区は今年は私を含め充実したメンバーをそろえ
入賞6位以内をめざしている。私が抜けても補欠はいるが実力が私と雲泥の差といっていた。そんなことわからないじゃないぁと思ったが
話を聞くと今回エースの区間を走る○上君(去年5000mが15分30秒)が私の事をしっているようなのだ。私もロードでは一応有名人らしい。
どうしてもでてほしいというのである。私もこの状態ではなんとも言いようがない。3~4日様子をみて出場決定する旨を言った。
交通事故はあせってるとき起こりやすい。もし自分が加害者だったらもっと精神的なダメージがあったことだろう。
骨折も幸いあまり走りには影響なさそうなところでひとまず安心。だがわからない。気おつけよう交通事故。 10/24/2006 足の親指の爪ついに今朝右足の親指の爪が剥がれ落ちた。。。。
痛みはないが爪がないからシューズはいたときに違和感がある。
なじむのに2,3日かかりそうである。
この間は無理に走るのはやめよう。
思えば9月上旬の山岳マラソンで内出血してとても痛かった。
爪の中がはがれていたが血液で一時的に固まっていたのだが
爪が再生してきたので古い爪が根元からぐらついていたのだが
無理に取ろうとすると痛いのでキネシオテープで固定していたのだ。
日曜のダメージもまだあるから週末まではサーキットトレーニングと
歩きとジョグでいこう。
10月いっぱいは走りこみの計画も残り28日に状態が戻れば多摩川で40km走やりたいが
ひとりではやる気ないので横○彫刻のある多摩川へ行く予定。
猫ちゃんも診察してあがるか。。でも逃げるだろうなあ。。。 10/22/2006 菊花賞&丹沢湖ソンゴブウインド(18番大外)武が3分2秒7 ドリームパスポート首差。アドマイヤーメインが10馬身くらい大逃げ
1000mで58秒台は速い展開で推移したため結局コースレコードが出た感じである。
今日はHeratBreak(走るクラブ名)の有志が集まり西丹沢湖40km走をおこなった。
今年末のフルマラソンにあわせてこの時期走り込みをする予定で今月は後1回
30km走を多摩川 でやる。
今日の天候は午前9時から始まり走りやすい気候の良い天候に恵まれた。
キロ4分で入ったが2週目でMシーさんに触発され10キロが38分台にまでなってしまった。
これが残り1周にかなり影響した。体の軸が傾いてきたため走りがおかしくなってきた。
これは後で中○さんの指摘でなるほど納得したし仕事まで1時間まだあったので
整体しにいって自分の背部が猫背になっているというのだ。
右臀部も痛くかなりこっているといわれかなりきつくマッサージされた後
首、背中、腰の整体を短時間でしてもらった。
おかげで少し楽にはなったが他に足のつま先も痛いし、足底筋も痛くなっているので
ケアせねばならない。
今日のタイムは1周目は41分台、2周目は38分台、3周目は41分台、4周目は44分台と4周目の
落ち込みが大きかった。トータル2時間48分。フルだと約3時間切れるかぐらいか。。。。
アップダウンはあるもののいまいちの結果に終わってしまった。
8/30/2006 今年の夏をふりかえる(その1)今年の夏は去年の夏に比べ仕事以外の出来事でいそがしかった。
そのいちばんは隣のマンション15階建設反対で裁判をおこしたことでいろいろあった。
なかでもその反対運動で代表になっていた建設用地隣の私の家とKさんの家に問題が起こった。
kさんのご主人は心臓疾患があり、ペースメーカーをしていた。この騒動でいろいろなストレスが
蓄積して8月お盆前に私立病院で深夜1時頃なくなった。
マンション建設のほうは既に2ヶ月間工事が止まっている。どうやら下請け会社に支払うお金が滞っているとのことだ。
これからどうなっていくのかは未定だが不安な日々は続くのである。
|
|
|